―「青の洞門」を通して―
沖縄県那覇市立真和志小学校 教諭
眞榮城 善之介
授業実践 第六学年
はじめに
「小学校学習指導要領」第3章第2の内容において、「D 主として生命や自然、崇高なものとの関わりに関すること」の中に、平成二十九年改訂より小学校五、六年生で取り扱うこととなったD[よりよく生きる喜び](以下、本項目)がある。
それまで中学生のみの内容項目であった本項目は、Dの視点に位置付けられていることがポイントである。それは、主として「自分自身」や「人」、「集団や社会」との関わりではなく、生命や自然のもつ神秘性であったり、崇高なものに対する感動や畏敬の念などだったりに加え、人間が本来もっているとされる、強く気高く生きようとする内なる思いを理解することで、自己の生き方を見つめ、よりよく生きる喜びを見いだすのである。
改訂当時の指導と課題
小学五、六年生が人間の強さや気高さ、生きがいのようなものの存在を理解することはそもそも可能なのだろうか。仮に理解したとしても、そのよさを実感し自己の生き方を見つめ直すような深い学びができるのだろうか。Dの視点を扱う授業は正直難しく、苦手意識をもつ教師も少なくないだろう。
また、今回の改訂に伴い本項目を扱う教材として活用されるようになった「小川笙船」や「青の洞門」は、それまで「役割と責任の自覚」や「感動、畏敬の念」について考える際に用いられることが一般的であった。したがって、傍線に示した内容項目と本項目との違いを明確にして授業を考案することや、改訂当初は本項目に適した教材が少なかったことなどが課題だった。 そこで本項目が新たに追加された当時、学習方法の創意工夫と充実を図るために次のことを考慮して実践を行った。
①小学五、六年生なりの生きる喜びに焦点を当てた授業をつくる。
②主題を単元的に構築する。
③自作教材を作成する。
当時の実践内容の詳細は省略するが、児童への学習効果に対する成果が多かった半面、実践に対する課題も残った。それは、主題を単元化するに当たり、教育計画の見直しや、学校で使用している教科書以外の教材を扱うことの計画・準備等による負担である。また、こうした授業構想を含め、自作教材を作成するという点においても、ほかの教師へ実践を広めていく際には壁となる負担であった。
変わらない・変わった「私の働き掛け」
前項で紹介した実践における深い学びとなったのは、D[よりよく生きる喜び]の判断基準を言語化して議論し合えたことである。人はよりよく生きることに喜びを感じたり、今ある生活が既によりよく生きる喜びにつながっていることに気付いたりすることで、自己の生き方を前向きに捉えることができた。こうした学習効果の見られた部分は「変わらない(変えない)」働き掛けと言えよう。
一方で、授業づくりの負担を軽減するために「変わった(変える)」働き掛けとしては、本項目に限らず既存の教材を使って深い学びのある授業をつくることである。教材を自作する労力よりも、既存の教材を深める労力の方が負担も少なく、広く一般化できると考えた。そこで、その具体について述べる。
授業実践 第六学年
罪を償うために人々の役に立ちたいと自己の生き方を変えた了海の思いや、その了海の生き様に感銘を受けて私情を捨てる実之助の心情の変化について考え、よりよく生きることの喜びやそうした生き方が与える周囲への影響等に気付き、自己の生き方を見つめよりよく生きたいと思う心情を育む。
教材名 「青の洞門」(学研「みんなの道徳6」)
⑴指導の工夫
普段から深い学びのある授業を意識し、ねらいは具体的に立てるように努めている。そのため授業の柱となる「ねらいとする価値への追求の見通し」を立てている(資料1)

初めは授業で扱うねらいとする価値について、児童が既に知っているであろう価値の自覚を「Ⅰ想定される授業前の子供の価値の自覚」として想起する。次に教材を読めばおおよそ理解できる(あるいは押さえたい)価値の自覚を「Ⅱ教材を通して改めて確かめたい、一般的な価値の自覚」と位置付けて整理する。それが授業の最低限のゴールとなり、そこから「Ⅲさらに深めたい子供の考え」を見いだすという流れになる。その際、Ⅱの自覚やⅢの考えを引き出す発問が想定できる。
本教材は、了海の生き方に焦点が当たりがちだが、その生き方を目の当たりにした実之助や石工たちの心情の変化を捉えることで、誰かや何かのために力強く生きようとすることの気高さや、そうした生き方が周囲の人々の気持ちをも変えることがあるなどに気付かせたい。そうして授業の終盤では、よりよく生きることの意味を一人一人が解釈し、自分自身がよりよく生きているかどうか見つめ直すことで深い学びのある授業を目指すことができるだろう。

⑵児童の振り返り
・前回(D[生命の尊さ])の授業みたいに、自分も家族に支えられて、自分が家族を支えているみたいな、お互いに支えられることが自分の中でよりよく生きるということかなと思いました。何かを頑張って成し遂げるのも、よりよく生きるということかなと思いました。
・了海は村人やここを通る人のこと、つまり他人のことを思って洞門をつくりました。だけどどうでしょう。ぼくは自分がしたいこと、やるべきことなど自分のためにやっています。だけどそれは自分の夢や目標に向かってやっています。だからただ生きているのではなくて、夢や目標のためによりよく生きているのです。
・自分はよりよく生きているかと言われたら、まあまあです。今、本当に何もかもが幸せです。(中略)毎日遊び、学校も全力で楽しんで、休日も楽しい、習い事も楽しめる、そんなのが自分にとってのよりよく生きるです。今それです。でも真っ最中だからこそ、もっと遊びたいと思うのかなと思います。これからも悔いの無い生き方をし、全力で人生を楽しみたいと思います。
おわりに
改訂直後も今も本項目を扱う際に意識していることは、小学五、六年生なりのD[よりよく生きる喜び]を見いだすことである。教材の中の登場人物の生き方に圧倒されて「自分にはできない」と一歩引いてしまったり、自己の弱さだけを戒めたりして反省的な授業にしないためである。逆に児童が自己肯定感を高め、前向きになれる授業が理想である。
何かに懸命であることや、毎日が楽しいと思えることが既によりよく生きていることであり、その喜びを自覚したり分かち合えたりしたときに、本項目のよさが実感できることだろう。





気高い心 D[よりよく生きる喜び]